※ 参 考 用 年 表 ※ |
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明応二年(1493年) | 山本勘助(菅助)生まれる? |
天文十二年(1543年) | 勘助、武田家に仕官する |
弘治元年(1555年) | 第二次川中島合戦 |
弘治三年(1557年) | 第三次川中島合戦 ※この頃、愛花と哀香生まれる? |
永禄元年(1558年) | 桶狭間の戦い 伊達政宗誕生 ※この頃しず殺害? 哀香行方不明? |
永禄二年(1559年) |
武田晴信、出家して「信玄」と号する 勘助もならって道鬼斎を名乗る |
永禄四年(1561年) | 第四次川中島合戦 山本勘助戦死(と見せかけ失踪) |
永禄七年(1564年) | 第五次川中島合戦 |
永禄九年(1566年) | 武田軍、上野西部を制圧 |
永禄十一年(1568年) | 武田軍、三河の徳川家康と共同で駿河侵攻を開始 |
元亀元年(1570年) | 武田軍、駿河に再度侵攻し、平定する |
元亀三年(1572年) | 武田軍の元亀遠征 |
天正元年(1573年) |
四月十二日(5月13日) 上洛途上で信玄没す(暗殺?) |
天正三年(1575年) | 勘助の嫡子・勘蔵、長篠の戦いで戦死 |
天正十年(1582年) | 織田・徳川連合軍の侵攻により武田勝頼切腹 武田家滅亡 |
※川中島合戦と勘助の謎 |
第四次川中島合戦。この戦いは、隊を二つに分けて上杉軍を挟撃するという勘助の戦術「啄木鳥戦法」が上杉軍に読まれていたため、戦国史上稀に見る激戦となったといわれる。 だが、 実は勘助は読まれていることは百も承知で(むしろわかるようにした?)、意図的に武田軍をピンチに陥れて信玄の命を狙ったのではないか? 勘助はそれに失敗したので、戦死に見せかけ姿をくらまして次の復讐の機会を狙ったのかもしれない。 また「あいか」本編で見られる勘助の風貌は壮年であり、「甲陽軍艦」の記述(天正元年まで生きていれば実に81歳!)と食い違う。そのため本編の勘助は実は2代目という可能性も考えられる。 この「川中島で戦死したはずの山本勘助が生きていた」 という設定は斬新で、「あいか」のストーリーの根幹をなすものだ。笠倉くノ一シリーズの次作「くノ一戦勇記」を見てもわかるように、小松公典氏のシナリオはくノ一達の破天荒な忍法など山田風太郎の「忍法帖」シリーズの影響が色濃い。 そこから察するに、この設定は「信玄忍法帖」(1962)からヒントを得たのだろう。川中島合戦後も生きていた勘助が信玄の影武者を駆使して、「三年間自分の死を秘せ」という遺言通りに、徳川方の間者から秘密を守るというストーリーである。、「あいか」の作劇上、もうひとつの重要なギミックである一人三役も角川映画「伊賀忍法帖」(1982)で渡辺典子が演じている。 |
※愛花と哀香の年齢は? |
愛花と哀香が16歳(昔は数え年なので17)だと仮定すると、弘治三年(1557年)生まれ。第三次川中島合戦が行われ、毛利元就が三人の息子(毛利隆元・吉川元春・小早川隆景)に三子教訓状を書いた年である。 2人が物心つく前に引き離されたことから考えると、信玄によるしず殺害は永禄元年(1558年)頃か? あの有名な桶狭間の戦いが行われ、伊達政宗が生まれた年である。 勘助が第四次川中島合戦で戦死したと見せかけて信玄の許を離れるまでの数年間、幼い愛花は配下の者によって別の地方(家康の本拠地・三河か?)に逃がされ、ひっそり育てられていたのだろう。 |
※愛花の着物の丈があまりに短すぎる件 |
本編を見ればわかるが、愛花の着ている着物の丈は驚くほど短い。普通に立っているだけで太ももが付け根まで完全露出している。男なら誰でも気になる純白のデルタ地帯は当然丸見えである。刀を抜いて振り上げるだけで着物はずり上がり、デルタどころかすっかり丸出しになってしまう。 さらに締めているふんどしも超極細幅である。普通の六尺褌は36cm程の布幅だが、アップのシーンで確認すると愛花のそれはせいぜい10cm、といったところ。おかげで左右からはみ出すわ食い込むわ、股間が大変なことになっており、はっきり言ってこれでは単なる露出狂である。 しかしここに天才的軍師である父・山本勘助の 深謀遠慮が見え隠れしている。剣の腕は抜群(?)とはいえ、 愛花は非力な女。精神的にもまだ未熟である。信玄暗殺にあたって勘助には不安もあったに違いない。ならば愛花に「女の武器」を目一杯使わせて相手の集中力を殺げばいい! そこで太もも全開の超ミニスカ着物だ。普通の男なら目が釘付けだろう。非情な勘助は愛花にノーパン!さえ命令したかもしれない。 花も恥らう生娘の愛花が父の命令に必死に抵抗し、妥協案として極細幅のふんどしが生まれたのではないだろうか? しかしそのふんどしの食い込みが愛花の性感を刺激してしまい、哀香のシンクロオナニー攻撃の威力が倍化したという可能性も考えられる。どこまでも深い「あいか」の世界である。 |
※しずは何故殺された? |
作中ではっきり説明されていないのがしず殺害の理由である。勘助曰く「愛してはならない女を愛した」ということから敵方の武将の妻女であったようだ。通常、領主や直系の男子は殺されるが、女性は売り飛ばされたり出家して許される場合が多いのでその対応はいささか極端な気もする。 筆者の勝手な想像だが、しずの父(もしくは夫)は信玄の信濃平定に根強く抵抗した小領主で、よほど信玄の怒りをかって「一族を皆殺しにせよ」とでも命令されていたのかもしれない。 |
※冬馬の素性について |
このキャラについては何も語られないので素性がはっきりしない。三河時代に勘助の配下になったと考えるのが妥当だと思うが、ドラマ的には何か因縁があった方が面白いので、勘助配下の侍の息子に生まれ、幼い頃しず殺害の時の戦火で親を失い、愛花と共に育てられた…と想像してみた。 よく見ると本編では愛花とけっこうアイコンタクトがあるので、2人の間には恋愛感情みたいなものがあるのかもしれない。 |
※信玄と哀香の関係 |
これにも多くの謎がある。劇中の戌丸のセリフによって「哀香は甲州忍群とは別に信玄直々の推挙で召抱えられた」ことが説明されているが、この2人は一体どこで知り合ったのか? 自分が勘助の娘であることを知っていたのも不思議な気がする。 諸国をさすらっていた哀香が何かのきっかけ(自分を売り込みにきた等)で信玄と出会い、しずを見知っていた信玄から自分の素性を教えられたのだろうか? 偶然にしては出来すぎていて無理が多い。 実は信玄がすべてを仕組んでいた、とも考えられる。つまり勘助の復讐を恐れた信玄は、しずの子供を奪って育て上げ、自分の盾にしようとした…という推測である。愛花と同じくひっそり何処かで育てられ、忍術や房中術を仕込まれ、親である勘助を憎むように仕向けられたのかもしれない。そう考えると辻褄は合うが、さすが忍びや渡り巫女(くノ一)を使いこなしたという智将・信玄、そのやり口に非常に後ろ暗いものがある。 そして死の間際に哀香が語った「殺された信玄=影武者」説。それが本当だとすると信玄はまだ生きているので上洛できてしまう。哀香の最後っ屁ともいうべき嘘なのか、本物の信玄は生きていたが史実と同じく病死してしまったのか…? 謎は深まるばかりでございます。 |
※愛花よ何処へ行く? |
目的も父も仲間も妹も、何もかも失ってしまった愛花が一人去ってゆくシーンでこの物語は幕を閉じますが、もし映画「あ○み2」のように続編が制作されていたら…?と考えると非常に楽しいものがあります。 愛花は勘助のように家康の許に報告に帰ると思えないし、ただあてのない漂泊の旅に出るのでしょう。さすらううちに愛花は「自分には剣しか残されていないのだ」ということを「ベル○ルク」のガッツのようにあらためて悟ることになると思います。 その過程で同監督の「くノ一戦勇記2」のように倒れているところを木こりの男に助けられるかもしれません。村娘の世話になり心の交流が生まれるかもしれません。村のために野盗と戦ったりするかもしれません! 凄腕の侍と戦って敗れてしまい、敵の前で着物を剥ぎ取られ、ふんどしを刀で切り落とされて辱められ、慰み者にされてしまうかも! もしくは敵の卑劣な罠にかかり、村娘の命と引き換えに捕らわれて輪姦されてしまうかも…! 激しい凌辱の末、裸で引き回されて処刑されそうになる愛花! そんなピンチを家康配下の服部半蔵(かわさき作品常連の若林立夫!)がやって来て救うかもしれません!! 半蔵が投げてよこしたマントだけをかろうじて身に着けた愛花の全裸アクション、最後の対決! …なんてw ああ…あいかちゃんの新たな戦いと痴態(ここが重要)がもう一度見たかったなぁ…(涙)。 |
( 追 記 ) …と、いうことで書いてみました↑。イメージ的には前述の「戦勇記2」と同じく、敵の残党に捕らわれて凄惨な凌辱を受けるパターンで。ゲストにはイベントで共演するなどあいかちゃんと仲が良かった早川凜ちゃんを考えてみました。そういえば彼女も引退してしまったようですね…。若林氏=半蔵が出てくれれば殺陣も迫力が出るでしょう。それに春の撮影なら山梨でもあいかちゃんの全裸アクションは可能かと思います。 |