◇ふんどしグラビアの歴史◇ |
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TEXT BY はかせ。 |
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◇ルネッサンス前夜◇
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当時、女性のふんどし姿を愛好する人々は一部の人々に限られていました。女性のふんどしを扱うメディアは「奇譚クラブ」「風俗奇譚」といったSM雑誌や、「徳川女系図」「色情海女ふんどし祭り」といったポルノ映画が主なものでした。筆者はリアルタイマーではないので断言はできませんが、それまでのふんどしファンというのは「女斗美」と呼ばれるキャットファイト好きの女相撲マニアか、切腹マニアといったSM系のファンの方が大半だったと思われます。 つまり、ふんどしとはあくまでもコアなマニア向けのアイテムだったのです。 | |||
◇ふんどしのポップ化◇ |
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ふんどしグラビアを考える上で大変重要な事件が1980年代半ばに2つ起きています。まずひとつはパルコが85年6月に発表した広告アート。「アリバイのない季節。」というキャッチコピーとともに外人女性2人がふんどし一丁で砂浜に戯れているという写真でした。その広告は、それまでのマニア向きのふんどしとは決定的に異なっていたのです。 |
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PARCOポスター広告 |
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◇宮沢りえのもたらした衝撃◇ |
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ここで遂にふんどし史に残る一大事件が起こります。89年秋に発売された宮沢りえのふんどしカレンダーです。それまではアイドルが脱ぐ時というのはその活動が停滞した時、すなわち落ち目になった時に限られていました。それに反して当時人気絶頂だった「旬」のアイドル・宮沢りえが突然セクシーなふんどし姿でお尻を全開にしたのです! それは男性ファンの目を釘付けにしただけではありません。アイドル史・グラビア史の中にとどまらず、社会現象にまでなる真に衝撃的な出来事でした。「ふんどし=宮沢りえ」という図式が完全に定着し、世間のふんどしに対する認知度を著しく上げたのです。 | ||
宮沢りえ1990年カレンダー |
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つまりそれまで一部のマニアにしか愛好されていなかったアンダーグラウンドでマニアックなふんどしは、人気アイドルが締めたことにより突如「おしゃれでセクシーなもの」となりオーバーグラウンドへと躍り出たのです。何しろ当時のジュリアナブームに沸くディスコのお立ち台にはふんどし姿で踊るイケイケのOL・女子大生までが見受けられたほどです。「ふんどしってセクシー!」「りえちゃんが締めてるんだから私も!」と女性達に思わせることができた宮沢りえの影響力の大きさがわかります。また、りえ本人も事務所に企画を出されていやいやふんどしを締めたのではなく、当時「りえママ」と呼ばれたマネージャーを務める母親の発案だったという点も大変重要です。それは男性側からの一方的な要求ではなく、「女性からの積極的なふんどしへのアプローチ」を結果的に世の女性達が真似たのだ、ともいえるでしょう。 (この項つづく) |